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未現像フィルムがだいぶ増えてきたので、そろそろまとめて現像をしようと、まずは現像液を作った。D76を1ガロン(3.8リットル)、バケツで溶く。
ボトルに移すときに、入れ過ぎて溢れさせてしまった。台所シンクの上だったので、床にこぼすことはなかったけれど、気分のいいものではない。見た目だけでは、水との区別はつかないけれど、触ってみるとアルカリ溶液特有のヌルヌル感が伝わってきて、あぁ、ここにも溢れたんだ、と気付く。安全をみて、より広範囲の水拭きと乾拭きを行って、何とか一息つく。
さて、これで近日中にフィルム現像スタートとなりそうだ。真冬なので温度調整に気を遣う必要がある。
ふとしたきっかけで、若い頃に聴いていた音楽を耳にすることがある。最近は、そういう懐かしい音楽を特集するテレビ番組もあるし、YouTubeでも懐かしの映像つきで多くの楽曲を聴くことができる。ちょうど、昨年末までNHKで「洋楽倶楽部80's」という番組もやっていて、これなど僕にとっては、そのまま当時のストライクゾーンでもあり、思わず身を乗り出してしまう内容だった。
しかし、そこで気をつけなくてはならないのは、やっぱり当時の音楽はいいなぁと感極まって、そのCDを買ったりして、いざしっかりと聴こうとすると、意外や感動が薄いことも多いのである。
久々に出会うものや人には、それだけで心を熱くさせるものがある。その瞬間、過去の想い出が補正回路として働くからだろう。しかし、それから少し時間が経てば、割と冷静になれるものである。久々に会った旧友と、始めは「おぉーっ」と盛り上がっても、徐々に落ち着いた会話になるというもの。やがて互いの時の経過を否応なく実感し、昔のようではありえないという当たり前のことを知ることになる。
かつて、どれだけ愛聴した音楽であっても、その想い出だけでは持続できない。僕もずいぶんと多くの音楽を聴いてきたが、長く聴いているものは、常にその時その時の現在(いま)を強く意識しながら聴くことのできているものである。
残念ながら想い出だけしか、ある音楽に価値を見出せないとしたら、時々忘れた頃にYouTubeあたりで耳にすれば、それで十分であることに、一時期80年代音楽のCDをいくつか衝動的に買ってしまった僕は、後々気付いたのである。